最近気づいたことです。NHKテレヴィジョンの番組の一つに「街角ピアノ」というのがあります。鉄道の駅、空港、あるいは商店街のちょっとした広場、などに縦型のピアノが置いてあって、誰もが弾ける。周囲に集音器とカメラがあって、演奏場面を録画、演奏後の小さなお喋りが付く、という趣向です。日本ばかりでなく、海外にも取材は広がっています。 ピアノの前に腰掛ける人は千差万別、夜勤明けの労働者とか、買い物に来たお母さんなどの中には、音楽学校に通う学生や、ピアノの先生も混じっていて、そういう方は、度胸験しも兼ねたりで、ショパンのノクターンとか、バラードの一部など、本格的なクラシックのレパートリーを演奏されますが、多くはポップ・ミュージックを選びます。アメリカだと古典的なジャズ・ナンバーもよく登場するのですが、内外を問わず(ここのところが大事なのですが)、日本のアニメーション映画の付随音楽を弾かれる方が多いのに、本当に驚かされています。内外を問わず、と強調したのは、海外でも、日本のアニメーション映画を見て、その音楽(日本では「アニソン」というのだそうですが)に感銘を受けて、弾きたいと思ったという人が結構多いのです。
余計なことですが、注意深い方はお気づきのように、私は省略形の言葉遣いが「大」が付くほど嫌いです。TVさえ今でも「テレビ」とは書きませんし、言いません。ましてや「アニソン」など書くだけで怖気をふるってしまいます。そこで、その方面に疎い、という印象を与えることは承知で、略語は一切使いません。
ところで、まさにそうなのです。全く疎い音楽の世界があるのです。私は音楽と名が付けば、日本の音楽現場に登場する音楽、クラシックは勿論、ジャズも、タンゴも、シャンソンも、あるいは大抵の歌謡曲(一部はどうしても嫌悪感が先に立ってしまうものもありますが)も、そして殆どの伝統邦楽も、拒まない人間ですが、これまでに、全く関心を持たないばかりか、拒否感が先に立つジャンルが幾つかあります。敢えて具体的に書きますと、総じて「子供」用という括り方が可能なように思えますが、かつては川田姉妹に代表される、子供を当て込んだ独特の発声の童謡類、現代では「何とか坂」とか言う言葉が先立つ、秋元某がプロデュースする女の子グループ、何とかジャニーズと称する男の子グループ、それに、歌よりも顔芸が先に立つ一部の演歌歌手の歌、どれも全く駄目なのです。
それに加えて、もう一つ、今や日本が世界に誇る(らしい)アニメーション映画の付随音楽が、全く無知なジャンルになります。これは、好きも嫌いも、ほとんど見たことも聴いたこともないので、「嫌い」とさえ言えないのですが、その点「食わず嫌い」の弊は否めません。アニメーション映画で私がまともに観たのは、宮崎映画の最初『隣のトトロ』だけで、それ以降の宮崎映画も観ていませんので、文字通り「食わず嫌い」になっているようです。それも、『隣のトトロ』は、宮沢賢治にも繋がるような詩情とファンタジーが感じられて、とても好きになったのですから、その後の自分の関心(無関心)の動きには、自分ながら合理化できない面があるのですが、私の住む家から、歩いて十分ほどのところに、三鷹の森ジブリ美術館なるものが開業し、はるか先まで決まっている予約がなければ、入館もできない、という状況が続き、JRの駅から自宅の前を通って美術館へと急ぐ(らしい)人々(その半ば近くは外国の人と見受けられます)の姿を見、専用の市バス(猫バスではありません)やら、停留所のプレートやら道路標識にまで、ジブリが登場する商魂の逞しさ(誰方の商魂かは問わないとしても)にも鼻白んだ故もあったと思います。流行に棹ささない、がモットーの私の臍曲がりがここでも働いてしまったのかもしれません。とにかく、そうしたわけで、私の音楽世界からは、アニメーション関連の音楽は、すっかり抜け落ちてしまって今日に至っています。私の最大の欠点の一つかもしれません。
そういえば、アニメーション映画のみならず、映画音楽全般に、私は余り関心を広げてこなかったかもしれません。記憶に残っている数少ない映画音楽で、私のような人間でも、別格のように思えるものが二つあります。一つは言うまでもなくイギリスの名匠で、監督として初めて一代貴族の称号を得たキャロル・リード(Sir Carol Reed, 1906~76)の名作 『第三の男』のテーマ、いわゆる<The Third Man Theme>(正式には「ハリー・ライムのテーマ」<The Harry Lime Theme>と呼ぶようですが)です。ハリー・ライムというのは、映画の中で名優オーソン・ウェルズ(Orson Welles, 1915~85)が演じた、まさに第三の男の役名です。チターの作品として未だに独立しても演奏されるこの作品、アントン・カラス(Anton Karas, 1906~85)が弾いています。
もう一つの別格は、これも言うまでもない、ルネ・クレマン(Rene Clement, 1913~96) の不朽の名作『禁じられた遊び』(Jeux interdits)の音楽です。クレマンは映画が出来上がった段階で、音楽をスペインのギターの名手セゴビア(Andres Segovia, 1893~1987)に依頼するつもりであったのが、予算の残りがなく、若いナルシソ・イェペス(Narciso Yepes, 1927~97)に依頼することにしたのだそうです。イェペスは、すでにスペインのギターの世界では知られていて、ハリウッド映画でも1941年に公開された『血と砂』(Blood and Sand)の中でも使われていた、通称「ロマンス」(作曲者には諸説あり、後に「愛のロマンス」あるいは「ただの(無名の)ロマンス」などと呼ばれることになります)に、映画音楽として命を吹き込んだことになります。
上の二つは、作品それ自体としても、後世への影響と言う点でも、まことに別格というべきでしょうが、私の記憶に残る映画音楽として、ここでは先ず、ジェニファー・ジョーズ、ウィリアム・ホールデン主演の『慕情』で、この映画のタイトルそのものが、主題歌のタイトルでもある名曲<Love is a Many Splendored Thing>を上げておきます。この曲は、映画作家のサミー・フェイン(Sammy Fain, 1902~89)が、プッチーニの『蝶々夫人』の名アリア「ある晴れた日に」のイメージを参考にしたと言っていると伝えられますが、良くできた曲だと思います。慥かアカデミー音楽賞を貰っているはずです。数多くの歌手が、独立の歌曲として歌い継いできています。今ではむしろスタンダード・ナンバーの一つに数えてもよいのでは、と私は思っています。
同じような立場にあるのが名匠フレッド・ジンネマン(Fred Zinnemann, 1907~97)が監督した西部劇『真昼の決闘』(原題<High Noon>)の主題歌となった、原タイトルと同じ「ハイヌーン」でしょう。作曲は、そういえば今話題のウクライナ出身だと思いますが、ディミトリ・ティオムキン(Dimitri Tiomkin, 1895~1975)が手がけました。冒頭、小気味よい打楽器のリズムに乗って、テックス・リッター(Tex Ritter, 1905~74)が<Do not forsake me, Oh my darling>と歌い出す、ゲイリー・クーパー(Gary Cooper, 1901~61)、グレース・ケリー(Grace Kelly, 1929~82)主演のこの映画を象徴する見事なバラードになっています。日本では映画のサウンド・トラック版でのテックス・リッターの歌よりも、フランキー・レイン(Frankie Laine, 1913~2007)がカヴァーした版の方が好まれたようです。まあ、テックス・リッターはもともと俳優で歌は余技でしたから、フランキーの方が凄みがあったかもしれません。
因みにこの西部劇は、幾つかの点で、西部劇としては体をなしていない、という評が残ったことは確かです。西部の土の匂い、牧童たちの独特の文化などが全く描かれていない、という評です、ジョン・ウェイン(John Wayne, 1907~79)は、最後にクーパーが保安官の印である「星章」<tin star>を、床に放り出す(それまで、自分独りに無法者の扱いを任せて、知らぬふりをしていた市民たちへの絶望を表現した)行為を許せない、と断じたそうです。
更に脱線すれば、藤沢修平さん(1927~97)は、作家が手の内を明かすことはあまりしないのが通例なのに、作品の工夫を色々な機会に語ってくれていますが、その一つに、映画(それも洋画)からヒントを得ることがある、と言われています(例えば新潮社のPR誌『波』昭和六十二年三月号、藤田昌司氏との対談{藤沢文学の原風景}、後に『本所しぐれ町物語』新潮文庫の巻末に所収)。それによれば、映画『真昼の決闘』を江戸時代の武士の世界に織り込んだら、という思い付きで書かれたのが、シリーズ『隠剣秋風抄』(現在は文春文庫)の中の「孤立剣残月」という作品になったが、失敗だった、と自ら漏らしておられます。
藤沢さんは、山形師範に在学中、学業を放り出して、映画を見まくった経験がおありで、そのころ観たマルセル・カルネ(Marcel Carne, 1906~96)の古典的名作で、ルイ・ジューヴェ(Louis Jouvet, 1887~1951)やアナベラ(Annabella, 1907~96)らスターたちの出演した『北ホテル』や、これも古典的名作デヴィッド・リーン(David Lean, 1908=91)のメガホン、トレヴァー・ハワード(Trevor Howard, 1913=88)主演の『逢ひびき』などの一シーンがヒントになることもある、とのことです。江戸の平武士階級や庶民の哀歓をつぶさに描き上げた藤沢さんの、意外な「ネタ」と思いませんか。更に余談になりますが、藤沢さんは、ある時ハードボイルド系統の小説さえ参考にしようとしたと語っておられます。チャンドラー(Raymond Chandler, 1888~1959)やマクベイン(Ed McBain, 1926~2005)ら、代表的なハードボイルド作家の作品は殆ど読んだ、と言われた後、「彫師伊之助捕物覚え」の三部作『消えた女』、『漆黒の霧の中で』、『ささやく河』(いずれも新潮文庫)は、まさしくそれを意識した作品だった、とのことです。この辺の機微は、本を読む人間にとっては、まことに醍醐味の一つかもしれません。
話を戻しましょう。これも西部劇ですが『誇り高き男』(原題<The Proud Ones>)の音楽も忘れられません。主演はハリウッドきってのリベラル派俳優ロバート・ライアン(Robert Ryan, 1909~75)、タイトルにギターの伴奏で、見事な口笛のソロ(スリー・サンズ)で現れる音楽の担当者は、名匠ライオネル・ニューマン(Lionel Newman, 1916~89)です。このニューマンは、ニューマン一家と言われる音楽の名家の一員で、兄のアルフレッド(Alfred Newman, 1901~70)も、名匠の名に相応しい作曲の大家でした。夜空に交差するサーチライトの光とともに映し出される二十世紀フォックス映画のタイトル・ロゴは、MGMの咆哮するライオンとともに、有名ですが、それに被らせて奏でられるファンファーレは、このアルフレッドの作品です。チャップリン(Charles Chaplin, 1889~1977)の名作『街の灯』の音楽を若くして任され、その後文芸物では『キリマンジャロの』、『怒りの葡萄』、『我が谷は緑なりき』、社会物の『海外特派員』や『紳士協定』、西部劇では『折れた矢』や『荒野の決闘』など、映画史上に残る数々の名作の音楽を担当した大家です。『荒野の決闘』は、何回か映画化されたテーマ、「OK牧場の決闘」を描いたジョン・フォード(John Ford, 1895~1973)の傑作の一つですが、当時西部で歌われていた「愛しのクレメンタイン」(My Darling, Clementine)を見事に活用して成功させたのは、まさにアルフレッドの功績でした。ライオネルは、『誇り高き男』のほか、『紳士は金髪がお好き』、暗い映画の傑作とも言われる『赤い崖』などの音楽を担当しています。
アメリカの映画音楽ばかりを話題にしたようです。日本でも黒澤明(1910~98)作品(例えば『羅生門』、『七人の侍』)の音楽を担当した早坂文雄(1914~55)は、溝口健二作品、例えば『雨月物語』などでも、音楽を書いていますし、最近ゴジラのテーマで有名になった伊福部昭も、谷口千吉(1912~2007)監督のデビュー作品『銀嶺の果て』や、熊井啓(1930~2007)監督の名作『サンダカン八番娼館 望郷』などで、音楽を担当していますが、早坂も伊福部も、本来クラシック系統の優れた作曲家として知られた存在で、映画音楽の専門家というわけではありません。その上、先に挙げたハリウッド映画の音楽のように、それ自体が独立した楽曲として扱われるような形の音楽は残しませんでした。恐らく伊福部のゴジラのテーマは、ほとんど唯一の例外になるかもしれません。
こういうわけで、音楽について多少とも語るだけの素養を身に着けている人間として、私の大きな恥となり、最大の欠点となるのは、日本のアニメーション映画の音楽や、総じてJ-ポップと称される一連の音楽に関しての完全な無知であり、共感を覚えられない感性であると告白します。
それでよい、と開き直っていると受け取られるとすれば、私の表現方法が拙かったことになります。しかし、私にはほとんど時間が残っていません。結局はこの分野に無知のままで、終わらなければならない心残りを感じつつ、このままになりそうです。
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